4)キャリアを考える範囲

ラダーモデルにしてもアイランドモデルにしても、そもそも「キャリア」をどのように捉えるのか、つまりどの範囲までを考慮に入れておくのかを共有しておくことが重要です。その範囲とはモデルの適用範囲にも関わるからです。

わだち(轍)をたどる

キャリアというと、どちらかというといわゆる出世コース、組織内での役職位を上げていくこと、そのための職務経歴という捉え方が一方ではあります。例えば「あの人のキャリアはいい線いっているよね」とか「君のキャリアにキズかつくではないか」といった言い回しをするのは、そうしたニュアンスを前提としているといえるでしょう。
もともとキャリアという言葉自体にそのような意味はありました。かつて道路が舗装される以前の時代、人通りの多い道には荷馬車などが通った「わだち」(轍)が残っていました。キャリアの語源の一つはこのわだちであり、そのように多くの人が通る道筋という意味があったのです。そしてその道は成功(多くの場合は富、あるいは富をもたらす仕事や身分)へと結びついていたわけです。そのわだちをたどることがキャリアの目標でもあったわけです。この範囲で考えるのであればラダーモデルは適しているでしょう。そこでいうわだちをわかりやすく示したものがラダーであるといえるからです

一方で、もっと幅広く捉えることもできます。上記のようにキャリアを捉えるなら、会社をはじめとするような組織に限定されてしまうことになります。しかし、例えば組織に属さない働き方(フリーランスなど)をも想定しておく必要もあるのではないでしょうか。また、副業、兼業をともなう働き方は今後増えていきそうです。これらはいわば複数のわだちを束ねたようになります。
これまで我が国では同じ組織に長く勤め続けることがよいことであるとする慣習がありました。今後、平均余命が長くなるとともに、定年年齢の延長にも象徴されるように働く期間そのものが延びることも考慮に入れると、これからは複数の組織を渡り歩くことが普通のこととなってくるでしょう。そしてその間に、産業構造が変化することも想定しておかなければなりません。就職した時点で担当していた職務が何十年もそのままとは限りません。とすれば、改めて学校などに戻って学び直すということもあるでしょう。最近の例でいえば、経理部門の伝票の起票・チェック、仕訳、決算業務などはAIを用いた自動認識、クラウドを用いた業務へと移ってきています。そうした知識なくしては経理業務ができなくなるだけでなく、今後は経理業務そのものが縮小、あるいは解消されていってしまいそうです。
このように考えていくと組織(会社)間の境界はもとより、組織に勤めているかどうかの境界も曖昧になっていきます。

仕事の範囲

ボランティアという活動はどうでしょうか? NPOなどの団体に所属してさまざまな個人や地域に貢献していく活動は、報酬を伴わないものの「仕事」といってもよいのではないでしょうか?
「それはその人が好きでやっているのだから、仕事ではなく趣味なのでは」という見方もあるかもしれません。しかし2つの点から疑問が浮かびます。
こうした貢献活動は、好きでやっているにしても相応の責任が発生します。支援を受け取る方は真剣なのですから、遊び半分で見えられても困ります。できることに違いはあるにしてもそこに一定の責任感はあって欲しいのです。報酬を伴うかどうかだけで判断するのは早計ではないでしょうか。
また「好きでやっている」という点。「好きでやっているなら趣味」という発想を逆の観点でみれば、「この仕事はねぇ、前からやりたかったものだし、面白いし、充実感もある」と楽しくやっている業務は「仕事」とはいえないということになってしまいます。「給与はね、我慢料なんだよ」という人もいます。そういうこともあるでしょう。しかし「苦しくなければ仕事ではない」というのであれば、仕事に向ける時間をいかに減らすかがキャリアを考える上で主要なテーマということになってしまいます。
報酬が伴うかどうか、あるいは「好き」か「嫌い」かといった点は、キャリアを考える上でとても大切なことですが、仕事とそうではないものの区分をするとすれば、そこに「責任」(主に他者に対しての責任)が伴うかどうかではないでしょうか。「趣味」は責任がないからこそ、好きなときにやって嫌なときにはやめればよいでしょう。あくまでそれは自分の思いのままでよいでしょう。一方の「仕事」は、それはボランティア活動も含めて、そうした気分とは別に、やることになっている、やらねばならないというものであり、しかもそれが好きでやれていれば尚良いということなのです。つまり、キャリアを考える時の仕事とは「役割責任」を伴うかどうかと考えるのが妥当でしょう。

役割責任という意味では、人生におけるさまざまな出来事も関係してきます。結婚や出産、育児、介護-こうしたこともある種の仕事と考えられはしないでしょうか。かつては「キャリアの断絶」と表現されていたこうした期間は、先の「報酬を得ているかどうか」という観点で考えるなら「仕事をしていない期間」ですが、 こうした活動をある種の役割責任と捉えることもできます。もちろん、これらを役割責任と捉えることに違和感を持つ方もいらっしゃるでしょう。しかしその一方で仕事と思わないとやりきれない、割り切れないと思う方もいらっしゃるのです。そうしたことも踏まえて、これらも「仕事」のうちに含めると、キャリアを考える範囲はますます広がり、組織の中に限定されるものではなくなってきます。もちろんこれを仕事捉えるかどうかは、その人の「仕事観」「キャリア観」によります。

交錯するわだち

このように考えてくると、当初は一つのわだちをたどるというイメージであった「キャリア」ですが、実際は一つ一つは浅くて見えづらいわだちが網の目のように錯綜しているものネットワークのようなイメージになりはしないでしょうか。
そのネットワークをどのようにたどっていくのか、モデルとなるパターンがあるわけではありません。それぞれの人の価値観や考え方、持っている知識やスキル、置かれている状況によって異なります。また時代背景によってネットワークの構造がガラッと変わってしまうことさえあります。そうしたネットワーク構造を、「島」と島と島を結ぶ「航路」へと置き換えたのがアイランドモデルです。