キャリアプランニングとクラフティングキャリア

キャリアデザインというと、なんだかゴールを決めてそれに向けたプランを立て、そこに向けて努力していくというイメージがありませんか? キャリアプランニングという言い方もしますから、そのように捉えても間違いではないでしょう。しかし、何だか引っかかりがあるのも確かです。

まず、世の中は変わっていくのに、今立てたプランが陳腐化してしまうことはないのか? ということです。
また、自分の興味関心だって変わるかもしれません。
さらに、もしかするとライバルもそのポジションを狙っているかもしれません。椅子が一つとするならば、いくらそこに行くプランを考えてもそうはならないような気がします。
それに何だかプランを立てたらそれを実現しなければならないようなプレッシャーというか、制約を感じてしまうようにも思います。まるでその実現のためだけに人生があって、そのために刻苦勉励を強いられているような気になったりもします。
自分のこれからのキャリを考えるということが、何だか辛く、厳しく感じてしまう・・・そんなことはありませんか?

確かにプランを立てておいた方がよいという理由はあります。
まず、プランがあるととても効率的です。行き当たりばったりでやっているよりも、着々と歩を進めていけそうです。まさに備えあれば憂いなしです。
それにそのプランを周囲の人に話しておくと、協力を得られやすくなります。「私、こんな風になりたくて、今こんな勉強をしているんだ」ということを平素から口にしていると、「この間、本で見たんだけど、あなたがやりたいことに関係するんじゃないの」だとか「今度、よその部署で欠員があったんだけど、君が希望していた仕事だったから推薦しておいたよ」ということになります。チャンスが回ってきやすくなります。
さらに自分自身が迷わなくてすみます。今自分が進んでいる方向がこれでよいのかどうかは拠り所となるプランがないと不安になったり、焦ったりすることになるかもしれません。

それにしてもこのプランニングというのはゴールがあってはじめて出来ること、目的があってこそ出来ることのような気もします。そうすると今のところはまだはっきりとした目的地はないんだけれど、という向きにはなかなか扱いづらいものになってしまいます。目的地という言葉を使いましたが、まさにその通りで、目的地に向かって足を進めていくというのがキャリアプランニングのイメージでしょう。

自分のキャリアを考えるにはそういうイメージもあるのですが、もう一つのイメージとしてクラフティングキャリアというイメージもあります。工芸品のことをクラフトといいますが、まさにクラフティングとは自分のキャリア(=仕事人生)を形づくっていくという考え方です。
目の前に粘土が置いてあるとしましょう。この粘土から「自分の最終的なキャリア」の像を創っていくとします。粘土はただそこに塊としてあるだけですが、完成品としての形は幾万通りもあるわけで、限りない可能性を秘めていると言えるでしょう。この塊をこねて、こうありたいなぁという形に作り上げていくわけですが、そのプロセスは、ある程度は心の中に「こんな感じ」というイメージを持ちながらも、実際には創りながら考え、心に浮かんだイメージを粘土に反映させ、というように進めていくのではないでしょうか? そうして徐々に自分らしい形にと仕上がっていく。そこにあるのは、ある種の計画に沿って作り上げていくという「プランニング」ではなく、心の中のイメージ、つまりはこうありたいという自己像や価値観などに照らし合わせて創っては直し、直しては創るという「クラフティング」をしているのではないでしょうか?

このように考えるとき、つまりクラフティングキャリアにおいては自分の心の中にあるものをしっかりと見つめ、つまり自己理解を深めながら、粘土、つまり現実と擦り合わせていくということになります。あまりにも現実に左右されすぎると、自分らしい塑像は出来上がりません。これでよいのだろうか? と内的キャリアと付き合わせながら作り上げていくのです。

自分のこれからのキャリアを考えるときには、こうありたいという具体的なイメージがあればそれに向けたプランニングを行い、一歩一歩近づいていくという考え方もあるでしょうし、むしろ自分の大切にしたいものは何かを自問自答しながらそれに合わせた塑像を作り上げていくようなクラフティングという考え方もあります。いずれが正しいかということではなく、自分にあった方法をとってみるとよいでしょう。