選択するということ
一日のうちの長い時間、私たちは「働く」ということに費やしています。その膨大な時間をどのように過ごすのか-できれば心地よい、あるいは愉快な時間であって欲しいと多くの方は望むではないでしょうか。
「働くってそもそも楽しいものではない」「そんなことを考えても無駄。期待しても得られないでかえって残念な気分になるくらいなら考えないほうがまし」という発想もあるでしょう。それもそうかもしれません。そしてそれもまた「時間の過ごし方」の一つであろうと思います。
ただ、過ぎてしまえば取り戻せない「時間」というものを考える時、できればより快適な、望ましいものであってほしいとすれば、「働く時間」をどのように選択していくのかについては、もう少し意識的であってもよいのではないかと思います。
好ましい時間
労働基準法の定めでいえば週のうちに40時間、比率にすればほぼ4分の1、一日7時間寝ているとすれば起きている時間の3分の1を占めるこの労働時間。ある宗教の考え方でいえば人間は働かねばならぬという苦役が原罪として与えられていることになっているので、いかに我慢するかが主要なテーマになります。そうでないにしても「給料は我慢料」という考え方の方にとっても同様でしょう。
しかし一方で「これは天職かもしれない!!」と思いながら楽しく働いている人もいるわけです。
であるならば、どちらかといえば後者である方がよいのではないでしょうか。もしそうであれば、前提として必要になるのが「じゃぁ、自分にとって嬉しい、楽しいということはどういうこと?」ということに、何らかの答えを持っておくことです。でなければそれを選んだり、あるいはそちらの方向へ行ったりすることが難しくなるからです。
どのように選ぶのか
お昼休みにみんなでファミリーレストランにでかけてランチを食べるとき、何を注文しますか。周りの人がカツカレーというので自分もそうするのか、お店のお勧めランチはチキングリルだからそれにするのか、あるいは昨日の夕食がちょっとしつこいものだったからここは鉄火丼にするのでしょうか。限られたお昼休みの時間ですから、早々に結論を出さなければなりません。
何を頼んだとしても出てきたものが美味しければ、あるいはコスパが良ければ満足してお店を後にできるでしょう。ところが、目の前の友人が頼んだ天ぷら定食のエビ天が意外に美味しそうだったり、手っ取り早いからと頼んだカツカレーはお肉の3倍くらいの衣がついていて、しかも冷めていて固かったりしたらどうでしょう。「あぁ、やっぱり自分の食べたいものにすればよかった」とか、「早く出てくるということは作り置きということか‥‥」と思えたりして、残念がったり、自分を責めてみたりすることにります。自分で決めたことなのだから、その結果は引き受けるしかないのが世の道理なので、仕方がないことではあるのだけれど、やり場のない思いは残ります。
日々の昼食においてもしばしばあるこうした「決めたけれど悔やまれること」が実はどう働くか、何を仕事にするかというキャリア選択の場面でも少なくはないのです。
ではどうだったらよいのでしょう。先のランチでいえば、たとえば「とはいえすぐに出てきたからゆっくり食べられて、みんなと話せて良かった」とか「カレーは今ひとつだけれど付け合わせのサラダは野菜が充実しているし、ドレッシングは秀逸だったなぁ、あの味うちでも出せないかな」というようなことであれば、ランチすべてがよかったわけではないものの、その時間は「よかった」と思えるのではないでしょうか。つまり、「良い時間」というのは、その時間帯100%が良いわけでなくても、いくつかの出来事があるだけでも大丈夫ということになります。
そして、先の感想は「結果的には良かった」ものですが、もしよい時間を過ごそうとより積極的に思うのであれば、どうであったら「良かった」と思えるのかを意識化しておくことで、よりその確度(確からしさ)を引き上げることができそうです。たとえば、そもそもランチに行く前に「きょうはあっさりしたものが食べたい」とか「久しぶりにみんなでランチなので話ができるところがいい」といった要望を伝えておけるとどうでしょうか。店選びの段階だけでなくお店に入っても店員に「きのうの夕食はハンバーグだったんですけれどこれがしつこくて。なにかあっさりしたものがいいんですけれど、早くできるものってあります?」と聞くことができます。つまり関連する情報をより豊かにすることもできるようになります。
後退りしながら進む
キャリア選択の特徴として、「すべての選択肢が示されているわけではない」ということと、「必ずしも正解があるわけではない」ということがあります。学校の試験などであれば「この中から選べ」と選択肢があり、しかもそのうちの一つは正解があります。これとは大きく違うのです。特にキャリア選択において、私たちはすべての選択肢を知っているわけではありませんし、知る由もありません。しかもその選択が良かったかどうかは、後になってみないと分からないという側面を持っています。フランスのポール・ヴァレリーが「精神の政治学」で記したように「我々は未来に後退り(あとずさり)して進んで」いるのです。
それでも決めなければならないのです。決めずにいるとランチの時間が終わってしまうのです。
個人にとってのキャリア開発とは、自分の仕事人生(キャリア)を自分にとって良いもの、納得のいくものとするための営みと考えることができます。とすれば、少なくとも自分はどうだったら「良い」と思えるのか、納得できるのかを自覚しておくことが欠かせません。そうした軸があることで何らかの意思決定ができますし、場合によっては目の前のチャンスをきちんと捉えることにつながります。またその軸があることで情報をより豊かに得ることができるようになります。
自分のキャリアを考えるということは、選択するときの自分のとっての判断の軸を考えるということといえるでしょう。