3-2)社内格付制度~職能資格制度について
先に説明したように社内格付とは処遇の「説明変数」です。説明変数とはもともとは統計学などで用いる言葉で聞き慣れないとは思いますが、「なぜそういう処遇になっているかというと」を説明するものと捉えていただければと思います。何を根拠に処遇を決めていくのかというと、社内の格付制度がその根拠となっている(はず)ということです。そして、その社内格付の設定方法にはいくつかの種類がありますが、ここでは日本では特に多い職能資格制度についてその良さ、課題などを説明します。
職能資格とは
「職能」あるいは「職能資格」「職能等級」を用いた格付制度は、いろいろな社内格付制度がある中で日本では最も多いもので、調査主体によってばらつきはありますが概ね半数程度の会社がこの制度を用いています(労務行政研究所の2018年調査では50.0%)。
職能とは何か? 辞書などで調べると「職務を遂行する能力」「社会や組織の中でその職業が受け持つ一定の役割」(デジタル大辞泉など)と説明されています。この「職能」、つまりその人が持つ「職務遂行能力」の高さが、仕事別に設定された基準に対してどの程度であるかということを判定し、格付を決定するといのうが職能資格制度の考え方です。その基準は「職能要件書」というものにまとめられることになっています。会社の中にはいろいろな職務がありますから、職能要件書は職務別につくる必要があります。そこで実際にはまず全社横断的な基準を設定し、それをもとに職能別に基準を設定していくという手順をとります。
等級の数をどう考えるか
多くの会社が職務によらず全社横断的な階層構造をつくり、等級の数も同じにしています。この格付方法の基本概念からすれば職務ごとに設定してもよいのですが、これは職務間の異動をスムーズに行うために同じにしていることがほとんどです。中には検討されずに「そういうものだから」と同じにしているケースもあるようです。
ただ、日本的な人事制度の特長として、職務の変更を伴うジョブローテーションを定期的に行い、多様な職務経験をすることでゼネラリストとして育成、管理職を目指させる傾向があります。さまざまな経験をすることが優秀な管理職の育成に資するという育成上の発想と、管理職を巡る競争意識をかき立てることがモチベーションにもつながるという考え方に基づいています。
しかし、先にも記したように同じでなければならないというわけではありません。職務(あるいは職種)によって変わることがあってもよいでしょう。習熟に時間がかかり、技量の格差があるようであれば、等級を細かく区分する方が、新入りと熟達したベテランとをきちんと分けて処遇することができます。また等級がたくさんあるということは、それだけステップアップする回数が多いということになります。ステップアップとは等級が上がること、つまり昇格するということになりますが、だれにとっても格付が上がるというのは嬉しいものですからそのこと自体が励みになります。しかも、なかなか昇格がないと、「いくら頑張ったって変わらない」という感覚をもたらすことがあります。子どもたちが通う水泳などのスクールでも「級」がたくさんあって、できることが増えるとどんどん上がっていくように設定されていますが、これと同様です。もちろん、大人ですから、あまりに簡単に上がってしまうと、昇格が陳腐な、チープなものに感じられてしまいますから、多ければよいというものでもありません。
一方で、こうしたことにあまり意味がない職務というのもあります。習熟にそれほど時間も必要としないし、長くやっているからといって仕事のレベルがそれほど向上するものでもないし、またそうしたことは特段求められていない職務がこれに該当します。比較的簡単な定型業務がこれに該当するでしょう。等級が上がると処遇も上がるというのが前提なので、こうした業務の場合、等級が上げていくことは人件費の増加を招きます。人件費を上げるわけにはいかないから昇格はさせない、ということが起きると、実際の職能と基準とが乖離していくことになりますから、制度の信頼感を損ねることになってしまいます。とすれば、敢えて増やす必要はないということになります。
また、差はあるのだけれど、それは成果に結びついている必要があって、むしろそちらで処遇を考えた方がよいという場合もあります。後者に該当する職務の一つに営業職があります。営業に必要な知識やスキルは多くあってそれをいかせることは大切なのだけれど、それは「契約高」「売上高」となって現れてはじめて意味があるものだと考えるならば、その人の能力の高さもさることながら、契約高や売上高によって処遇を決定した方が妥当だという考え方もできるのです。ただし、この考え方の根底には「成果が上がるということは、それだけの知識や経験、スキルがあるからだ」という基本的概念があります。たまたま受注したとしても、「運も実力のうち」と考えるということです。
「いや、それは違う。きちんとしたお客様との関係構築、商品理解などがあってはじめて契約に結びつくのであって、結果がよければよいのだという考え方には賛同できない」という考え方もあります。この考えに則るなら、関係構築や商品理解の程度といった本人の職務遂行能力をきちんとみることが大切になりますから、やはり等級数はいって以上あった方がよいということになります。
そもそも人事制度には普遍的な正解があるわけではなく、系絵理年や人事理念を実現するためにあるので、人材育成の考え方が違えば、このように制度はまったく異なるものになります。
では何段階の格付があればよいのか? これには一律の答えはありません。その会社の業務内容、職務の内容などによるといえます。少なすぎると前述のように昇格するまでに長い時間がかかるようになってモチベーションの低下をもたらすことがあります。多すぎると、昇格判定の手間がかかることになります。どうすれば昇格するのかという基準をそれぞれ設けておかないと、年数とともに昇格してしまい年更的になってしまいます。階層が多いとこの基準に等級ごとの差をつけるのが難しく、結果的に基準として機能しなくなってしまいます。また、職能資格の場合、本人の「能力」を格付けしているので、「降格」させづらいという面を持ちます。人が能力を失うというのは、心身に損耗が生じたとき、あるいは基準が引き上げられて相対的に低下したことになってしまったといったようなケースが想定されます。特に前者の場合、本人に「あなたの能力は下がりましたよ」と告げなければなりません。これを回避しようとする会社は少なくなく、結局は降格(等級を下げること)させないので、この面でもまた年更的になってしまうということが起こります。もちろん、階層数が多いということはよりこうした事態が起きやすくなるということを想定しておく必要があります
等級を定義する
ところが、この職能別に要件書を設定するというのがなかなかに大変です。「設計」「製造」「生産管理」「営業」「経営企画」「総務」「経理」などなどさまざまな職務が社内にはありますから、「職能資格」という間g苗方に即して進めるとするならばそれぞれの職務ごとにつくらなければなりません。 特に職務の違いにかかわらず統一の等級基準を設けている場合は、違う職能であっても同じような基準にしなければならないのですから、いわゆる「横の調整」もしなければなりません。
一方で、職務の内容は日々変化していきます。環境が変化するだけでなく、業務内容も高度化していくからです。少なくとも毎年、書き直すまではしなくてもよいとしても確認することは欠かせません。これはかなり膨大に見えます。結局、毎年メンテナンスするのが大変なので最初につくったはいいけれど放置され、結果的に使えなくなり「形骸化した」と言われることがよくあります。
職務別につくるのは大変だから軸になるものだけにしておこうよ、ということで統一の等級基準(と等級イメージ)を作成、運用するケースもあります。各部門でブラッシュアップするという手間はなくなります。しかし全社共有のものというのは、どこの部署でも通じるようにする分、抽象的な表現になり、どの職務でも「いっていることが今ひとつフィットしない」ということになりがちです。フィットさせるために、現場の管理職がメンバーに向けて具体化しなければならないのですが、管理職の概念化能力によってかなり差が出てきます。中には、「こんな抽象的なものは使えない。自分の考えでやる」という管理職も登場し、ここでもまた基準が形骸化してしまうことがあります。
いずれの場合もきちんと基準として機能しなくなり、結果的に能力の高さを見るのは「熟練の程度」ということになり、熟練度を左右する一つである「勤続の長さ」によって格付が上がる(昇格する)ということになって年更化を招いてしまうケースも少なくありません。
人物評価になりやすい
職能資格は人の能力を格付けるという考え方なので、「人物評価」になりがちな側面を持っています。本来は担当している職務の遂行能力をみているはずなのですが、人格全体を見ているかのような誤解をしてしまいます。担当している職務でいうと、たとえば体力が落ちてきたり、業務プロセスのIT化が進んでより高度な情報技術の活用が必要となったがそこにはついて行けてないといった場合、職務遂行能力は下がっているので「降格」があってよいはずです。しかし人物と全体を見ているので、降格するとその人そのものを否定することと(降格させられる側からいうと否定されたことと)いうことになってしまいます。職能資格制度は年更序列の元凶のように語られることがありますが、制度そのものに原因があるというよりは、きちんとした運用をしていないのが問題です
職業能力評価基準の活用
ところで、厚生労働省では職業能力評価基準というものを作成しています。第7次職業能力開発基本計画(2001年)の中で「雇用の安定・拡大のための職業能力開発施策の枠組み」の一つとして着手されたものです。職能資格制度はあくまでも社内の基準です。社外では基本的には通用しません。ある会社で「教育プログラムの開発」をしていたとして、これがどの程度のものなのかが他社では分からないのです。これを、公的に整備する「評価基準」に照らしてみることで、どの会社かに関わらない共通の物差しでの判断とし、他者への移動も可能にしようという発想です。その会社独自のものではなく、ポータビリティのあるスキルへと転換することで、雇用の流動化を進められます。
会社にしてみれば出て行かれては困る問うことになるかもしれませんが、日本全体を考えたとき、労働力はどんどん減少していきます。能力を持っている人材をある特定の所に抱え込んだままにしておくのはもったいないことです。一方で産業構造はどんどん変わっていきます。産業や業種、業界の流行廃りはあるものなのです。停滞している業種、業界ではいわゆるリストラクチャリング(産業構造の変革)を推進することが欠かせませんが、このときにはたとえある分野では高い職業能力を持っている人でも、一旦はその会社から出て行ってもらわざるを得ないことが起きてきます。しかし、その会社の中では担当することがないだけで、新興の産業や業種、業界においては必要な人材であったりします。この間の移動がうまく進まないために貴重な人材が埋もれてしまうのは、個々の企業ではなく日本の産業界全体としてみたときにはもったいない話なのです。
そのように考えからこの職業能力評価基準は整理されているようです。そして、この基準は公開されています。社内の能力評価基準を作るときに参考にすることもできますし、個人が自身の職業能力評価の棚卸しをするときにも利用できます。
アイランドモデルの観点から
職能等級制度は個人の職務遂行能力の格付ですから、ラダーモデルによく馴染むものです。特にこの記事の標題の図にあるように、一般社員層と管理職層を分けて等級を設定することが多く、これなどはまさに管理職のはしごを前提としたラダーモデルといえるでしょう。
一方でアイランドモデルに馴染まないかというと、そうでもありません。アイランドモデルは役割を「島」として記し、その職務に就く人はその島の住人と考えようとするものでした。その意味では「島」=「職務」なのですから、その島の中での職務遂行能力の程度を等級で示すことに矛盾はありませんし、むしろその島の中での成長を後押しすることにもなります。
しかもその島の中で完結する等級制度ですから、ほかの島(職務)とのバランスを考える必要もありません。社内格付について説明した記事でも取り上げましたが、格付制度が併存することは可能です。むしろ積極的に活用することも検討すべきでしょう。
その際、運用のルールを設定しておくことは欠かせません。例えば役割が変わる(移動、島を移る)とき。職能資格はその島限りの基準で儲けていることになっていますから、移動前と移動の後で等級は変わることがあるのが前提となります。厳格に運用するなら行った先で改めて格付を設定するのがいでしょう。とはい、行って実際にやってみないと格付られないという側面もあります。こうした場合、報酬水準だけはそのまま移動することにして、格付は翌期にその一年間の働きっぷりを考慮して決定する、というのが妥当でしょう。