Q:「キャリアを考えるといわれても、将来何が起こるかなんて分かりません。何が起こる変わらないことを考えても仕方ないのではないでしょうか?」
<こたえ>
確かに将来どうなるかなんて分かりませんね。
しかしだからといって考えなくてもよいということにはならないのではないでしょうか?
分からないのだけれども、他人任せにしないで、できる範囲で自分らしく生き、働いていけるようにしようということなのです。
そもそもキャリアを考えるということは将来に備えようということでもありません。将来に備えようとするならば確かに何が起こるか分かっておく必要があります。
キャリアを考えるというのは、こうありたいという将来の自己像を思い浮かべ、そこに到達するように、日々を過ごし、働きかけていくということです。生きていれば、働いていれば、いろんな選択肢が目の前に現れてきます。そのときにどれを選ぶのか、そのことを考えておくことといえるのではないでしょうか?
考えて決めるには何らかの判断基準が必要です。その判断基準となるのが、どちらを選ぶとなりたい自分に近づくことができるかということなのです。そうした判断基準がないといつまでたっても選ぶことができません。
選べないときに、つい私たちは「周りの人はどうしているのだろうか」と自分ではなく、周囲の、あるいは社会の基準に照らし合わせて決めてしまいます。あるいは組織が指示した方向にいってしまいます。そのことが間違っているといっているのではありません。そうした決め方もありでしょう。ただ、その方法だと少なくともなりたい自分に近づいていると保証できません。結果的には自分の思いもよらないところについているかもしれないのです。それも自分が選んだ結果だからと納得するのであれば、他人がとやかくいうことではないのですが、時にそのことを世の中や会社のせいにしてしまいがちなのです。「こんな自分に誰がしたのか!」と。
自分で選んだからといってその通りになるかどうか分かりませんし、状況によっては選べないことさえあるでしょう。ですから、ありたい自分を考えているだけでその通りになるといっているわけではありません。ただ、考えていないよりも考えている方がそうなる可能性は高いと思うのです。
一つ留意しておきたいのは、なりたい自分というのは具体的でなければならないというわけではないということです。
具体的である方が、実現する可能性は高いですし、無駄な努力をすることも少なくなりそうです。目的地がはっきりしていますから、安心して進むこともできるでしょう。
しかし、実際にはこうなりたい自分というのは描けないこともあります。また知らないものは描くこともできません。
具体的なイメージを描けないときには、自分なりの価値基準だけを設けておくということも可能です。
こういうことを大切にして働きたい、こんなことを楽しみにして働いていたい、こんなことを実現できるような仕事をしたい-そんな働く上での価値観を明らかにしておくのです。選択の場面ではその価値観に照らして判断します。
その結果どこに行き着くかは分かりません。しかし、その都度自分なりの判断基準で意志決定をしたのですから、きっとたどり着くところは自分にとって居心地のいいところになりそうです。またそうではなかったとしても、そのとき時の判断に後悔がなければ、自分なりに納得できるのではないでしょうか。
目的地をしっかり定めて進む前者が「キャリア・プランニング」だとすれば、後者は、その都度、すこしずつ修正を重ねながらかたちづくっていく「キャリア・クラフティング」といえるでしょう。